東京話し方教室主催第30回スピーチコンテスト結果発表
2005年10月生(30期生)成果発表
12月23日(祝)午後市ヶ谷開催

■最優秀賞  川村久志さん<挨拶はすごい>
■ 優秀賞  高野智樹さん<十数年ぶりに「ありがとう」と言えた>
■準優秀賞  清水陽水さん<あがることに慣れよう>
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何もかも上手くいってないからと言って、次に起こることまで上手くいかない、とは、限らない。
ね?
そうでしょ??
まるで、自分が100%当てる優秀な占い師みたいに、未来予測できる、だなんて。
しかも、昨日までの何となくの流れを汲んで、その流れで明日もそうなる、だなんて。


明日も上手くいかない、だなんて。
ないよね。
だって、明日「いい」か「悪い」かの確率は、半々だもの。

それで、私は、コンテスト前夜、既に泣きそう(な程に運勢悪)かったけど、明日も運勢が悪いと思わないようにしました。
確率的にそうするのが正しいだけじゃなくて。
だって、明日は「晴れの日」ですもの。
12月生全員にとって。
教室の皆にとって。
私の今年の最後の授業の日なのですもの。

それで、「明日」という12月23日がきて。
もう、信じられないけど。
本当に、私は、昨日までいくつも上手くいかなくても、その次の日はほぼ全部が上手くいくこともあるというのを知りました。

最高のクリスマス・プレゼントをどうもありがとう。
本当にありがとう。

私はその日戻ってから、超ぼろい自宅のお風呂に入りながら、心からつぶやいたの
「ああ、最高。
最高に気持ちいい」
って。

数々の感動的なスピーチ。
埋め尽くされた席。
抱き合った人。
もらったプレゼント。

私、全部が、心から好きだった。
好きなものだけに囲まれた1日を、どうもありがとう。

今、書いてても、開催前夜のつらい気持ちが思い出されると涙が滲むのに。
そんな状況が、人によって、言葉によってくつがえされる。
素晴らしいどんでん返し。
ねえ、状況は、あきらめない限り、覆されることは、あるんだ。

素晴らしい、そのこと自体が。
最高の1日を、どうもありがとう。
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■最優秀賞  川村久志さん<挨拶はすごい>

安定感のある勢いも感じられるスピーチだったでしょう?
スピーチって、スピーチする人自身の人柄がにじみますものね。
川村さんのような人に安心感を与えるやさしい面持ちの方は、それだけで、(スピーチとして)有利なのだと言いたいですが、今までの人生によって培われた重みが醸し出すのですから、そういうのは、見習いたいものだ、としか言い様がないですね。

2ヶ月目の最初のスピーチ「挨拶を励行して」で話されたもののリメイクでした。
成果発表のはちゃんと「主題」が出ていましたね。
(以前にやったのでは、「挨拶について」で、何がいいたいのかが、明確に出てなかったので)進歩です。

挨拶はすごい、でしょ?
今までと同じ人達との関係性の枠組みのままなのに、やらなかったのを、やるように、そう変えただけで、3万円もする台を作ってもらえる程、親しい関係になれるのですもの。

そして、川村さんのスピーチでわかるもう一つのことは、挨拶をするようになってから、相手に興味が湧いて観察するようになった、ということ。

今まで、何年毎日そこを通り過ぎながら、まさに、通り過ぎていた(看過されていた)関係性が芽生えたと同時に、もう少し更に成長してゆくのですよね、1センチ程の芽生えから、もう数センチ、しっかりと何枚も葉を付けながら伸びていくように。

おじさん、何をやってるのか、見てみたら、どうも大工仕事をやっているようだ。
(挨拶って、確かに、そうなのですよね。
相手を見ながらやるから、勢い、相手を観察するようになる)
それで、今回の「台」の話につながっていくのですよね。

挨拶はすごい!
仲良くなるのに、今更、とか、遅い、とか、ないのですね。
何年も「無関係」だった人なのに。

という、そこの点をもっとはっきり出してもらいたかった。
何年、無関係だったのでしょう?
それが、たった何日でお互いが認識し合えるように変わり、たった2−3週間で台まで作ってもらえるような間柄になれたのですよね。

すごいじゃないですか!
無から有を生み出した。
しかも、3万円!(私なら、はっきりそれを示すために、3万円という札3枚を皆に見せますね)
(「でも、お・金・じゃ・な・く・て、今まで何年間も赤の他人同然だった人が、何日間の挨拶の末に、何の得にもならない自分の為に(何日間かけて、この位の大きさの)台を作ってくれたことに、その気持ちと行動に、正直驚かされたのだ、と。)(でも、やっぱり、正直、お金のことは、うれしかった、と最後に言い足せば、そこでは、『そりゃそうだ』とつい笑ってくれる人もいたかも。)

川村さんの話は、お札こそ見せなかったですが、3万円相当の台を作ってくれた、という成果は、具体的に理解できます。
しかし、でも、やはり。
私個人は、その「台」なるものが、実のところ、想像できなくて、その点が弱かったです。

今、余程、川村さんにおかけして確認しようかと思いながら書きますが・・・、その「お店とかにある」「のぼり」って「パソコン教室」って赤字か何かで書かれている、そういう宣伝用の「のぼり」です?
1メートル半程あるヤツで、それは、言うまでもなくそのままじゃ立たないから、それを立たせる台??
なので台は結構重くて、四方も何十センチあって、高さも十センチとか???
川村さん、パソコン教室を経営なさっていますから、それしかないですよね?
(でも、コンテスト時に聞かれたほとんどの方が川村さん=パソコン教室との図式ないですものね。
何人の方が川村さんの言ってる「もの」を想像し得たか、はなはだ疑問ですm(_ _)m

私だって、いつも買う花屋が、道の向かい側にのぼり(「花市」とピンクの丸ゴシックで書かれているの)を立てている作業をたまたま見たことがあったからそれからの連想に過ぎないのですが)

で、当初、聞いた時は、私は全く「台」のイメージできなかった。
(私は、その時は、きゃたつ?のようなものを想像した)
余り想像できなかったから、それを思い浮かべるのはあきらめて、成果の華々しさだけに絞ってスピーチを賞賛したように憶えています。まあ、台は、どうでもいいや、と思って。

そうですよね、「台」は、スピーチの主題には何ら無関係の、単なる「モノ」に過ぎません。
しかし。
その話に本当に聞き入ろうとするなら、その時(2ヶ月前になさった時)にきっと指摘しなかったから、今回も曖昧な描写で終始なさったのでしょうが、そのものが、一体どんな「モノ」なのか、私達聞き手の脳裏に描けないと、話として、弱い。
納得感が今一つ得られない。
(その時に、指摘しなくて、今更、とお叱りを受けるのは、こちらになっちゃいますがm(_ _)m)

(来場者の方々は承知なのですが、実は、川村さんのお話は、得票数から言うと、2番目でした。
最高得票された高野さんが時間オーバーでしたので、順位が入れ替わりました)

のぼりの旗を立たせるための台、なんて、第一、名称を私達素人は知らないし、今まで、注目したこともないから(^_^;)
でも、それがある意味主役の話ですものね、5秒少々の描写で終わらせるには、無理があったかな、と。
3分の内、10ー15秒位使ってあげて、今からしようとする話が一体何の話なのか、説明してあげることは、意味のあったことだったかもしれません。
あるいは、1分スピーチでグラフを描いてきた受講生がいましたが、あのように、描いてきてあげるのも、一つですよね。

(私が前いた教室では、コンテスト時、やたら(^_^;)視覚物出てきてた、ですよ。
はなはだしいのになると
「こんな怒った顔」が「こんな笑顔」になりました。

「こんな怒った顔」

「こんな笑顔」(スマイル・マーク)
が、それぞれ模造紙一杯に描かれて示されていました。)

(余りやりすぎるのも如何なものかとは思いますが、)具体的なエピソードの中にイメージとして具体化できないものがあると、効率的な伝達の妨げにはなりそうです。

あと。
結果から言うと、冒頭部分の私とのやりとりは、・・・うーん、私自身は話してくれてウレシかったですが(毎回、一番前に座ってくださってどうもありがとう)、あそこは、笑いをとろうとされました?もしそうだったら、もっと、やりとりを鮮明に、か、その時の気持ちの推移を思い切って話さない限り、笑いをとるのは、難しい。
笑いというのは、自信たっぷりの思い切りのよさがないと、まず、無理ですものね。

お話ぶりは、常時ニコニコされていて非常に好感持てるのですが、最後の最後、相手の懐に飛び込もうとする思い切りのよさは、吉田君のスピーチの軽みというかサービス精神を見習って(^_-)

川村さんの誠実そうな安定感のある雰囲気は、
『あのように話せたらどんなにいいだろう』
と憧れさせますね。

お人柄自体が説得感を他人に与える、とでも言い換えられそうな。
どう間違っても、絶対に、川村さんはいい人、と皆が思わされそうだわ。
いいなあ。
パソコン教室は大繁盛でしょうね!

時々、ちょっと早口になりそう。
そこだけ気を付けてください。

教室の「そこから始まる」基本をしっかり実践してくださって誠にありがとうございました。
何年も挨拶してないのに今更・・・?
そう思いがちな何人もの受講生の方の心に川村さんのメッセージはしっかりと届いたと確信します。

パソコン教室の説明会?はきっと毎月の話ですよね?
川村さんのこれからの更なる発展を心よりお祈り申し上げます。
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■優秀賞  高野智樹さん<十数年ぶりに「ありがとう」が言えた>

高野君、ありがとう(T_T)
いい話だったね。
ご両親との高級しゃぶしゃぶ店での慣れないゆえのぎこちなさ、でも、最後に伝えられた「ありがとう」。
お母様が涙ぐまれ、高野君も話しながらちょっと来ちゃって、私もちょっときちゃったし、見学の人もそうで、絶賛されていました。

私は3ヶ月の最後にそうなってほしかったの。
高野君。
そう思うでしょ?
感謝は本当に最高の感情だよね。
それを言葉に出して伝えることは、人間として最高の行いだよね。
何だろう?
あの洗われたようなすがすがしさは。
崇高な。
尊い内面。
伝えられた人は必ず感動するけど、伝えた方も感動するの。

高野君も川村さんも、私、大好き(*^_^*)
だって、「やって」と言ったことを、現実的に「やって」くださったのですもの。

関係ないよね。
今まで何年やってなかろうが十何年やってなかろうが。
人は、決意さえ心に結べたら、「言おう」とさえ思えたなら、言葉に出して言うことができる。
世の中にこんなに容易にできて、こんなに効果を伴うことがあるだろうか、と思う。
私が「いい言葉」を聞きたくて毎日渇望しているように、人は、誰しも、毎日、「いい言葉」が聞きたくて仕方ない。

私の考えでは、スピーチは、3ヶ月、目一杯かければ、何とか上手くなると思う。
だって、事前の準備が可能なのですもの。
構成の仕方も習うし。
あがりも、挨拶月間以下何とか月間を実行してくれてたら多少は改善されるものと信じます。

しかし、日常会話は、なかなかそうもいかないと思うなあ(受講前のアクセスメールにも、訊かれたら、正直に私はそう答えます)。
相手が何を言ってくるか、予測できないし。
空気の読み方。
特に複数と話しているとき、どうやって自分が入っていくか。
タイミングを見計らうのは、難しい。

でも、日常会話の中で、相手がどんなタイミングでも必ず喜んでくれる言葉があるの、それが「ありがとう」。
「おはよう」でさえ、画面に向かって集中している時には、多少嫌がられるかもしれないけど。
「ありがとう」だけは、ほぼ、どんなタイミングで言っても、喜ばれると思う。
だから、日常会話や雑談の苦手な人で、はっきり言って、会話の上達には程遠かった、という人は、最後、「ありがとう」を心を込めて言ってもらえたら、と思う。

私が3ヶ月の内に両親に「ありがとう」が言えなかったのは、そもそも、私の前いた教室では、3ヶ月目は「プラス積極思考(月間?)」だったの。
中級に上がると「ユーモア」と「感謝」だった。
だから、私は、3ヶ月目の最後、多分、毎日、スピーチコンテストで行う原稿のことばかり考えていて。

どうやったら、この3ヶ月の感動が最も伝えられるだろう?
やっぱり、最初に来た日、挨拶の話を聞いた時が一番大きな感動だった。

私は、所長である先生の話が如何に感動的だったかを筆を尽くして伝えようとした、でも、「感動して泣いたことはわかるけど、シラけるだけ。何も伝わって来ない」と、何十回、原稿を書き直してもそう言われた。

それで、コンテスト出場直前、最後の最後、構成を全て変えて、私が何を「やった」か、を述べることにした。
(実は、「やった」ことよりも、先生の話自体に感動したことの方が私にとっては大きかったのですが)
でも、挨拶を「やった」ことを話したら、今まで「伝わらない」と言ってた友人が
「こっちのは、よくわかる。
挨拶の話がよかった泣いた感動した、よりも、「挨拶しろ」と言われたから「やった」話の方がより強くその話に突き動かされたことが伝わってくる。話の中には「感動」という言葉はないけど、こっちの話には「感動した」
と。

今回も、今までも、「先生の話に感動した」は、そりゃ、もちろん、ウレシイのですよ。

心に残る。
でも、ね。
開講式の日。
感動した、挨拶の話は本当にいい話だった、でも、受講しない。
人より、
受講する。(感動したかどうか知らないけど)
人に、私は感動するの。

あなたって素晴らしい人。こんないい人には逢ったことがない。
けど、付き合わない。
よりも
付き合う。(いい人と思ってくれたかどうかは知らないけど)
と言ってくれた人、結婚したい、と言ってくれた人に感動するのと同様。

高野君のすっとした背筋の伸ばし方、遠くを見つめる涼やかな目元。
明朗な声の通り方。
若々しいのに頼もしい表情。
こぼす笑顔。

何もかもよかった(*^_^*)

そうね、私のこと、言わなくてよかったのよ、スピーチ中に。
川村さんのでも、そう触れましたが。

私のことはきっかけには違いないかもしれないけど、、、中には、私のことに触れないと何かよくない、と思い込んでいる人もいる?とか聞いたことがあったような?
とんでもない!
私は、十二回目の最後の授業に、そこにい、発表してくださっている、その姿を見るだけで、もう、感激なの。
もう、何も要らない、と思いたくなる程に嬉しいの。
だって、3ヶ月はあっと言う間、とは言っても、一年の1/4であり、しかもほとんどの方が仕事をしながらのある意味葛藤の3ヶ月ですもの。
今回だって、どんなに出たくとも、休日は絶対に出られない人とか、出張という場合や、理由はどうであれ、それら全てをクリアしないと最後の場に立てないのですもの。

そんな貴重な最後の場において、そのスピーチが素晴らしかったというのは、私にとって最高のご褒美。
3分しかないですからね。
その貴重な3分に、余程私のこと出さなきゃそのことが言えないなら仕方ないし、言ったら笑いもとれそうだからつかみになる、とか、そういう利点があるならいいですよ、そうでない場合は、出してくれなくて、ほ・ん・と・う・に・いいですからね。

今回の高野君のなんか、私のこと出さなきゃ、軽く!7秒なんて短縮できた訳。
もお、何やってんの!?

その点だけ、文句言いたいなあ!!
(得票を明かすと、実に、1位との差は1票なかったのですからね、何と、0.4票の、実に僅差)

堂々たる素晴らしいスピーチでした。
感動をどうもありがとう。
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■準優秀賞  清水陽水さん<あがることに慣れよう>

大きな声で発表できたね。
清水君、あがり症なのに、よくやった!

清水君の話は、<スピーチ作成法>の定石から外れているようにも見えますが、自分自身が今あがっていること自体を題材にもってきたのですね。
今あがっている自分自身が、視覚物。
予め原稿は準備されていたでしょうが、120%、あがることは予測できたからね(^_^;)

で。
どうでした?皆さん。
やっぱり、清水君、上がって見えた?

本音言わせてもらって、私には、そうも見えなかったm(_ _)m
(もし、何人かの人にもそう見えたなら、清水君の話の説得力は背景が揺らぐことになるけど)
(だって、いくら本人がこうだ、と言っても、こう見えない限りは、ねえ。
いくら本人が「いい話します」って言っても、私達聞き手にとって、そう思えない場合と似てますかねえ。)

あがる、という典型的な症状として、震える、どもる、赤面等が上げられるように思いますが、そういうのが見られないと、いくら、「あがってる」と言われても、そうなのかなあ?位にしかm(_ _)m
逆に大きな声で人前で話せていたら、それは「堂々と話している」というイメージの一つですものね。
悪いけど、当日の清水君の話ぶりは「堂々と」に近かったわ。

なので、よく得票したなあ、って感心したのよ。
花束を運んでくれる人が花束を持ち帰るという私の願いが通じた、ということか!

構成は清水君なりによく考えていたように思いました。
自分の目標としていた地点に到達出来なかった事実を前提に、話し始めた。
つまり、話を落とした地点から話し始め、しかし、それでも、こういう獲得地点に立てた、のだと。
話を引っ張り上げていきましたね。

でも、言い方が、今一つ、思い切りよくないのですね。
おどおどしてるとは言わないけど、もっと、潔くダイブ!するつもりで。
普段から、もっと口数を増やして、感情形容詞や修飾語を多用する。

清水君は、私、相当いい人と思うよ。
でも、随分長い間、押さえなくてもいい感情を押さえて来たかのように見える、だから、人が感情を解放仕切っている時も、最後の最後そうできないか、していても表情筋がほぐれにくいせいで、余りそう見えないかも。
清水君のような本当にいい人が、話し方や表情で損をするかもしれないのは、私、耐えられないわ(T_T)

あがり、のことよりも、そっちの方が気にかかる程。
でも。
実は、あがり、にも、表情にも、完璧に関わる共通項があるのですよね!
それは。

自信を得ること。

清水君、言ったように、確かに、誰でもあがるの。
北野タケシは、あがる、というか、「あがらなくなると芸人は売れなくなる」と言い切る訳ですものね。
日本人は遺伝子的にあがる、とも言われていますし。

だから、清水君の提案してくれた「あがり、という状況に慣れること」と、もう一つは、表情にも態度にもあがりにも影響を与える「自信」。

この前、飲んでたら、隣のグループから一人の瞳キラキラの内面が自信に溢れる人が私達のグループに加わってきたの。
(っていうか、広田さんが呼んできたのですが)
それで、ウチの教室の一人が
「どうして、そんなに自信に溢れているんですか?僕たち、そうなりたいんですよ」
と言ったら、彼が、数秒考えた後、
「やっぱり、体験かなあ」
って。
(私、この時、本当にスピーチと同じこと言うなあ!と感心したけど)

だよね!
小さな事でも、言えなかったこんなことが言えるようになった、とか。
そうして、相手が喜んでくれたりしたら、もう、すごく嬉しいよね。
毎日は結構忙しいから、キャンプに行ったり、なかなかそういう体験には恵まれないものの、今まで発したことない言葉を言う、そういうのだって、今まで挨拶しなかった人にするのだって、下手な旅行よりずっとドキドキするかも。
そういう一つ一つが、実体験、ですもの。
そういう一つ一つが、必ず自信に結びつくと思うのです。

今回のスピーチ・コンテストは、やはり、大きな体験であり、経験。
そこで受賞できたことをこれからの人生の場面場面で思い返してください。
あそこで、できたんだから、と。
これからも、絶対に、できる。
そうだよね、清水君。
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今回は時間をオーバーが半数を占めましたね。
ある修了生から、叱られちゃった、ですよ。
「一体、どういう指導でああなるんです?」
と。
もう、原稿の時点で時間オーバーはわかりきっている。
それを許す、というか、それでいい、と話そうとする3ヶ月目の受講生(というか修了生)があれだけいる、というのは、教室として、あれでいいんですか、と。

まず。
今の教室=東京話し方教室の方が前の教室よりも学べない点がある、としたら、一つには、時間に対する厳しさ、でしょうか。

前の教室では、時間オーバーは失格は言うまでもないですが、そもそも、3分以上、話させてもらえなかった。
ブザーが「ブー」と鳴って、話は中断させられました。

だから、私も、ものすごい、すさまじい緊張感の中、コンテストに臨んだものです。
特に私のスピーチは、ゆっくり話したら絶対に超えるという3分ギリギリのものでしたから、怖くてしょうがなかった。
一箇所でもとちったら、一巻の終わり、ですからね。

コンテスト当日も押し寄せる緊張感でしたが、そこに至る1ヶ月も、内容もあったけど、なんせ、私の話ったら、長い。
普段の授業中の3分スピーチでも、まあ、必ずm(_ _)m超えていましたねm(_ _)mm(_
_)m

これを3分に納める、というのは、文字通り、至難の業、でした。
血のにじむ努力、とでも言うか。

1文字でも短くするには、どうしたらいいか。
同じ事を言うのに他にもっと簡潔な言い方は存在しないのか。

卒論と同じ程苦しんで苦しんで、お恥ずかしいことに、出場3分前まで、言うことが決まらずに苦しんでいたのです、言いたいことと、時間とのせめぎ合いの中で。

結論から申しますと、私は、その与えられた苦しさが本当に心からよかった、と思っています。
自分の成長にどれだけ寄与してくれたかしれません。
絶対に、頭もよくなった(^_^)v

だから、本来なら、その「よかった」ことを全て実践したかった、今の教室で。

で、ね。
実際、一度、「失格」にしたことがあったのですよ。
時間大幅オーバーして入賞した人が、後輩に、
「いくらオーバーしても構わないんだから、オーバーしちゃえよ」
って言いふらしているというのを知って、その時は。

でも、そうしたら、その回は、ものすごい緊張感で、もうこれ以上ないだろう、位のピリピリした雰囲気でしたもの。
話、というものが、本来もつはずの楽しさ、のびのびとした雰囲気、伝えたいと心から願う意欲、自然な欲求・・・そういうものから遠ざかっている、という風に私には感じられた。

そう言えば、前の教室のスピコンもこういう雰囲気だったなあ、と。
しかも、<3分>が何より優先される訳ないじゃないですか。
その人が「話したい」と思う、その意欲、気持ちの方が、私は優先される、と考えたのです。

ただし、そうすることで、3分以上でもいい、となったことで、私のように、長々と話す人が絶対に手短に話そうとする血のにじむような努力からは遠ざかった、その努力から得られるものは、捨ててしまった、というのは、あります。

仕方ないですね、両方はとれませんもの。

長く話した場合、他の人の時間を使った、という罪はありますかね。
10秒1000円で買う、という案も出たことがありますが、どうでしょうねえ(^_^;)

私は、でも、ね。
今まで、人前で話すのが嫌でいやで仕方ない、そこから逃げ回ってきた、こういう人生はもう嫌だと思ってここで自分を変えようと思って。
そう話した人達が、何のことはない、減点されると知って尚、もっと話したい!と時間オーバーすることは、ちょっとはいいことだと感じるものでもあるのです。
こんなこと、言ってちゃ、だめですけどね!!
自分のアタマの体操だと思って、あくまで、簡潔な話を目指して欲しいのですが(しかも、この忙しい現代において、長い話は、ますます、聞かれなくなる傾向にありますからね)。

でも。
話すことは、やはり、楽しいのですね。
皆に、一人の人にでも多く聞いてもらえることは、快感なのですよ。
生きている証。

どんなに美味しいモノを食べ、いい服を着、ふかふかの最高級のベッドに身体を任せられようと、私達は、一人でそれらを毎日繰り返すことは、もしかしたら、例外なく全員にとって、苦痛であろうと思えます。
何も楽しくないよ、そんな生活。

私達は、言いたいの。
話したい。
隣の人に。
今の私の気持ち。
えっ?私と同じことを思ったの?!
それは、嬉しいなあ!!

そう、共感したい。

それがどんなにちっぽけなことであろうと、共有できる時間というのは、どんなに心楽しいことでしょう。
共感・共有は、キスする時は、話せないから、その時は言葉にしないけど、それ以外の時では、口という外界と内面をつなぐもの、精神と肉体の橋渡しをする言葉によって、伝えようとする。

私をわかってもらおうとし、あなたをわかりたいと希う。
素晴らしい言葉を得、それを話すこと・聞くことを楽しいと思う私達。

私は皆さんの多くの言葉というプレゼントをもらって、本当に幸せ。
こんな幸せがずっと続いてほしい(*^_^*)

素敵な素敵なクリスマス・プレゼントを、ありがとう。
(言い訳できるタイミングだったから、全員と抱き合っておけば、よかったなあ!)

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