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東京話し方教室より、9月28日第3回スピーチコンテスト(7月生新宿教室+6月生秋葉原)の結果を発表させていただきます。
最優秀賞:松原さん(同点一位ですが、ここでは、7月生の方から)
最優秀賞:近野さん
準優秀賞:石井さん
松原さんが30秒スピーチで謎掛けされましたよね。
あれって、本当に話し方の極意のようなもので。
あれ、ね、実は私がスピーチ・コメントで気を遣い過ぎる?のを戒められたかったのもだったのです(すごいでしょ?達人っていうのは、批判したい時にこそ褒めるのですよ!)
他にもそのように感じられている方がおいでですって。
で、今回は、それだったら、少し辛口で申し上げてもよろしいでしょうか。
●松原さんの「もっと聞き上手になりたい」●
奥様に「変わったかな?」と訊いたら、
「前より人の話を聞くようになった」と言われた辺りは実際に交わされた会話が再現されていて非常に説得力のあった一方、
「もっと、この調子で妻との会話が楽しめたら自然に周りの人とも会話が楽しめるようになるのかな」
は、ちょっとすんなりは入ってくれなかった部分でしょうか。
妻との会話が楽しい、と松原さんの思ったことは実は一度も述べられていなくて、むしろ、「楽しい」と感じられたのは奥様の方のはずですよね?ご主人が聞いてくれるようになったことで。
もちろん、奥様が楽しんでくださっていることはご自分も楽しいはずですが、聞き上手、ということをテーマに持ってくるなら
「妻が楽しいと言ってくれてるこの調子=聞き上手でもっと行ければ、自然に周りの人も自分との会話が楽しいと思ってくれるようになるのかな。
そう人が思ってくれるようになることが、自分が会話が楽しめるってことだろうな」
でしょうか。
少し回りくどいものの、もともとのだと、その部分で「アレ?」と思ってしまい、混乱して次への集中力を乱されかねません。
話し言葉は書き言葉と違って逆戻りができないので、常に「すんなり納得される」ことが要求されます。
(ただ、回りくどい表現自体が話し言葉では避けられたいものでもあるので、私だったら、この箇所自体、まるごと、見直しするかもしれません)
奥様に「変わった」と言われたことで松原さんの心掛け?が変わったことは推察されますが、聴衆は推察し、感想を聞くにとどまった感も否めません。
原稿も練られ、練習を奥様の前で重ねられたことはよく伝わり、しかも、最も身近な配偶者から変わったと言われたーーーそれだけで、私なんかは嬉しい気もしますが、インパクトに欠けると言えなくもない。
「変わった」ことがご自分では実感しにくい程度のものだっただけに致し方ない、とも言えますし、その程度のものをご自分の世界観、価値観で聞かせようとした所は力のおありの方であればこそ、と思われました。
(ただ、ちょっと漫談風でもあり、それが好きな方もおいででしょうが、私なんかは、松原さんの普段のズバっと笑わせる話の方が効いた?かな。)
いつ聞いても仲睦まじい理想の夫婦像を見せ付けられるようで、うらやまし過ぎ?!
(と、ここで、やめるつもりでしたが、前回の吉田さんのスピーチに対して
「で、お父さんにありがとうって言ったの?!」
と強く「何をしたか」を追求なさってたのを思い出し、それにしては、松原さんのに対し「何をしたの?」と思えなくもない?m(_ _)m?)
●近野さんの「父親に心からありがとうと伝えることができた」●
今までの近野さんの話し振りとは大きく違うもので、少なからず驚かされました。
松原さんのスピーチとは対照的に、体験された実話のみ、という感じでしょうか。
話された内容は聞いた誰もが忘れ得ない具体的なもので、また、誰もが「よかった!」と心から思えるものでありました。
いい話でしたよね。
その部分では全く異論ないものの、もっと、聞き応えあるものになってよかったとも思いました。
お父様との再会は30年振り位になるのでしょうか、物心ついたときには、もう母子家庭でしたから。(記憶は余りありません、と言われたので時々会ってたのかな?など思いましたが)
お父様の現在のご様子、病状、など詳しく述べられ、更にお父様の親友からの話を聞くに至り、今まで懐いてきた父親像とかけ離れた実態を知ることになる訳ですが、実は、お父様と交わされただろう会話は何1つ述べられなかったのですね、「ありがとう」と伝えることができた、という事実以外は。
「ありがとう」と伝えることができた当の相手=父親の頬のこけた様子がやっと述べられてはいても再会の瞬間、何も交わさなかったのか、一言でも交わしたのか。
例えば憎悪の対象が実際のやせこけた一人の病人であることで一気に哀れみの対象に化したのか。
ここでは、まだまだ憎い自分達を捨てた人非人にしか見えなかったのか。
感情が語られていないので私は実は戸惑った程です。
担当医とお父様の親友という端役の話に実は相当時間を割いていて、肝心の主役のお父様とのやり取りがほとんど、というか、何もと言うに近く、語られていませんでした。
(それで、だか、非常に感動的な話のはずが、何か報告文を聞くような冷静な感じにも聞き取れました)
そうなると、勢い、お父様に懐き続けてきたであろうもしかしたら憎しみのような感情も、もしかしたら、そのとき、何か全てを赦してしまおうと氷解したかのような感情の起伏も掘り下げられない。
親友の話は、実は親友の単なる話に過ぎませんよね、実際のところはどいうだかわからないじゃないですか?
しかし、それを裏付けるものがあったとしたら、それは、垣間見せたある瞬間のお父様の表情だったかもしれないし、ある一言だったかもしれないし、腕にどうしても触ろうとした父親の指だったかもしれない。
病気でやつれたお父様の現状と親友の方の話と手紙だけで今までの過去の全てを赦そうと思えた心情に至ったのが今1つ納得しにくかった。
お父様とのやりとり、ご自分の心理描写・・・葛藤はありませんでしたか?そのような掘り下げがもっとされていれば第一級の聞かせる話になったと思いました。
●石井さんの「話し方で学んだ効用を保つ工夫」
明瞭で知的な話し振りはいつも通り大変結構なのですが、いつも通り(いつもよりはマシ?m(_
_)m)長いので、まず、やっててダメだったことまでは話さなくてよかったかもしれませんね。
3分以内であれば、「こうした、でも、ダメだったからこうやってみた」で十分いい、と言うかそれが定石という位ですが、ここで話された内容は、中心にくるのだけでも3つはある訳です、3つを言うこと自体、余程上手に話さないと(3つであることの必然性が厳然とある=ここでは「は・な・し」だったから3つ、ではあるものですが)。
私なら無難にやはり1つに絞ろうと考えますね、でも、「は・な・し」だから3つを狙われた、それなら、もう、最初の失敗談?は、削除されてよかった訳です。
私の昔の話振りに似てて、何から何まで話さないと自分が理解されないように感じられる。
気持ちは、痛い程にわかりますが(^_^)
あと、不思議に思ったのは
「はなしのは。ここで自分の心を一旦ゼロ・リセットしよう。「恥ずかしがらずに裸の自分をイメージしよう。」
はなしのな。今ゼロリセットした自分の心を・・・具体的な次の方針を示す方針を出します。「名前を呼んで何となく」
・・・何で「はなしのは。恥ずかしがらずに・・。
はなしのな。名前を呼んで何となく。」
とまず、ズバッと言わないのか?
何でだー?!
第一、その方がリズミカルじゃないですか?言うまでもないけど、もちろんわかりやすい。
わかるわからないで言えば、ゼロリセットってつまりどういうこと?とも思った。
それで、ね、更に不明だったのが(ごめん、だから、ダメ出しは、やりたくないのですよ!どんどん出てきちゃうm(_
_)m)<名前を呼んで何となく>って、当然、相手の名前を呼ぶんですよね?そうですよね??
カーネギーの本にも長い長い名前の人がちゃんと名前を呼ばれて感激して泣いた話、ありましたよね。
ところが、これもわかんないんだなー、どうしてわざわざ出した例文が
「石井さん、先程の話、大学の話でしたよね」
「はい」
これより先はできないと本人も言いましたが、それより先に、何で「石井さん」なのか・・・(T_T)
相手が「名前」を呼んでくれる話じゃないよね?
うーん。。。
この例文は、誰の名前でもよかったけど、唯一、あなたの名前=石井さん、だけは、まずかった・・・(T_T)
それで、私はこの話が3位だったのに驚いた程でした(でも、皆さんの共感を得た、というのは、それだけで絶対的に素晴らしい!です)、が、その後で本音で話してくれた話は、本当に嬉しかった。
(どうも、石井さんの話って、思わぬ所でいいのよねー(^_^)
●西野さんがただ一人コメントしてくださった吉原さんの「自分の出方が全てだ」●
吉原さんが冒頭で教室のよかった点をおっしゃって(強調して)くださいました。
私がどれ程嬉しかったか想像に難くいないでしょう。
が。
やはり、なのです。
いいのm(_ _)mそれを話すと、もう、2つのことを喋ってしまうことになるのですよ。
どうしても、3分で話すことは<1つ>のこと、なのです(T_T)
「私には生意気盛りのXXに似た感じの姪っ子がいます。
今小3で、また、その母親、兄嫁ですが、これまた、付き合いづらいったらありません。・・」
でズバっと入る。
そうしないと、肝心の部分が3分以内では話せなくなりますよね。
沢山話しかけたり訊いたりしてあげたら・・・って、一体どう話しかけてあげたのか。
そして、後、関係がよくなったことをはっきりさせるには、やはり、前半で、「前はこうだった」ことをちょっとでも話されるべきでしょうか。
そうすると、皆、「小生意気なヤツだ」と思って吉原さんに同情したのに、実は、吉原さんの出方次第で全てが改善されたことを深く悟ることになりますよね。
●せっかく有効な視覚物を用意されてそれを生かしきれなかった衣川さんの「娘について」●
XXについて、は、やめてほしいってことは教室で言いませんでしたっけ?弱いと。
出だし、
「私には鬱病の気の娘がいます」
で単刀直入に入ってほしかった。
宝塚やアニメは、衣川さんにとって無理な話題ですよね、それだったら、出すことない無駄な箇所でした。
ズバッと下田の後に話しかけたのに入ってほしかった、会話が弾んだわけですよね。
そして、その後、雨の日に娘さんが濡れたお父さんにタオルを持ってきてくれる。
ものすごく感動的な場面のはずです。
ここで、どうしてもっともっと掘り下げることができなかったのでしょうか?
受験のプレッシャーを与えられたのはご自身ではなかったのですか?
その自分には恨みを懐いていても不思議はない娘さんが、如何にも、娘らしいやさしい気遣いをかけてくれたわけですよね。
自分の心を開いて迫ってきてくれた訳ですよね、私は今書いてても涙が出そうになる程いい場面なはずなのに。。。
励ましてはいけない。
そんなことよりも、話しかけ、訊いてあげることで今まで心を閉ざしていた娘さんが。。。。
それは、衣川さんが懸命に娘さんを理解しよう、何とか近づこう、と日々心を砕かれた結果、成果のはずでした。
もっともっと掘り下げることができたのに、と残念でなりませんでした。
●主人の感想●
たまたま主人は7月生の開講にも閉講にも顔を出した訳です。
それで、本当に驚いていましたよ、皆、見違えたように上手になったって。
たった3ヶ月でこんなに堂々と話せるようになるなんてすごいって。
●私の感想●
私は、実は、今回は、もっともっと、って思ったのm(_ _)m
言いたいこと、1つのために、もっともっとシビアになっていただきたかった。
掘り下げることが今1つ足らないと、少しきつい言い方で恐縮ですが、物足らないと思った部分がありますm(_ _)m
上で取り上げた5つの内、松原さんのは「成果」が余り感じられなかったケース。
これは、ある意味しょうがない。
もともとが相当よかった場合は、そうでも仕方ないと思います。
でも、残りの4つのケースは目に見える成果がありながら、もっと踏み込めるものを・・、もっと掘り下げられるものを、あるいは、構成を練り直すことで見違える程よくなるのに、1つにとにかく絞ってほしい・・と残念で仕方ありませんでした。
とは言え・・・・、これは「言え!」と言われたので敢えて言ったものでもあります。
そう言われなければ、いつも通りm(_ _)m当たり障りのないコメントをしていたことでしょう。
私は自慢ではありませんが、夏休みの宿題等、最後の1週間になって初めて手をつけるタイプで(モチロン、仕上がらない!)、ご存知の通り、毎日、メールが驚異的に遅いのも、だらだらと時間を過ごしてどうしてもやらざるを得なくなった時間で初めてスタートするからです。
その私が、よく考えてみれば、スピーチだけは!何と!!課題が与えられてその日から取り組んでいたようです。
1週間、ずっと、そのことを考える位にずっと練って練って練り上げて、構成もああでもない、こうでもない、と。
特に初めてのスピーチ・コンテストで行ったスピーチは、開講日にもう「ああ、このことが話せたら、なー」と思っていて2ヶ月目の最後の補講で何となく話してみ、3ヶ月目は仕事も全然なかったので卒論程考え抜いたように仕上げました。
(その莫大な努力を思うと先月の久保クン(先月最優秀賞受賞者)のスピーチは余程アタマいいのかな、と感心しますが)
皆さんも是非、練りに練ったスピーチをお聞かせください。
いろいろ書きましたが、もちろん、今回も素晴らしい場でありました。
来月も更にそうであるように心から期待申し上げております。